概要

沿革

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浦河小学校沿革の概略

浦河小学校の開校は、明治10年10月(1877年)である。時あたかも、西郷隆盛自刃(9月)で終った「西南戦争」の時期と重なり、北海道開拓使浦河分署の官舎を払い受けての「浦河学校」開設である。「開拓使事業報告」によれば、これより先の同年5月に、「有志輩三名発起し寄付金185円を得て、民家を当てて教育所と称し、生徒12名を教授す」とある。民家から官舎へ移転する時には、教師1名、生徒29名(男19、女10)書籍部数18冊であった。

参考ながら、日高の教育所等の開設は、明治5年5月の「目名教育所」(現高静小)、6年2月「佐瑠太村教育所」(現富川小)、10年5月「浦河教育所」、同年7月「幌泉教育所」となっている。

開校当時の「浦河学校」(M19年「浦河小学校」の名称)の所在地は、旧浦河警察署、現「ミオ」あたりで、その後、明治21年には、浜町(現・大黒座付近)に、現在地の鱗別には明治33年11月15日(この日は現在も開校記念日としている)、校舎新築落成し移転した。鱗別移転前後の区域内戸数は737戸、人口は3281人、就学児童数は318名であった。(M35年資料)

本校は明治10年の開学以来、変わることなく「浦河」の名を冠し以来百三十数年の歴史を刻んでいる。その間、今日に至るまで、一万二千名になんなんとする卒業生を有し、浦河町はもとより、各地各方面で活躍する幾多の有能な人材を輩出している。開校以来の「向学の精神」、明治41年の「考えて行え・整頓・清潔」そして、明治43年の「至誠をもって事に当たる」の教訓は、長い歴史のみならず、浦河小学校出身者の誇りとして、また、伝統として脈々と受け継がれている。

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浦河小学校は同校の同窓生のみの母校ではない。浦河の学校沿革を辿ると、その大半が浦河小学校を源流としている。現在は統廃合により、その名も「史誌」と記憶にしか残されている学校も少なくないが、それぞれの地域で「志学の礎」として、また、多くの人材を生み出す「おらが学校」でもあった。明治23年の「杵臼分校」にはじまり、その後の「荻伏分校」、「西舎分数所」、「後鞆(白泉)分校」、大正時代の「井寒台分教所」等である。昭和30年には、堺町小学校が設立され、当時の児童数増大が緩和されている。

本校は、開学以来、児童数の増加に悩まされてきた歴史を一面では持っている。昭和のはじめには、千名に近い児童数を要していた。特に、昭和10年頃から昭和38年まで、千名から千二百名前後と、管内はおろか、全道でも有数のマンモス校として存在していた。

しかし、昭和29年の1378名をピークとして、若干の増減はあったりしたが、3階建ての近代校舎(現校舎)ができた直後の昭和46年(1971年)には、706名に、平成元年(1989年)には466名、そして、平成13年(2002年)には、さらに半減の232名となり、今日では、児童数の減少に悩まされる状況となっている。

本校は、町の中心部に位置し、校下には、役場、消防署、文化会館、町立図書館をはじめ、保健所、病院等、多くの公共施設や文化・教育施設が設置され、また、港湾をはじめ商業・漁業・住宅等の地域で構成されている。

校下の地域・保護者の学校教育に対する関心や期待は非常に高く、「歴史と伝統」に裏打ちされた子弟への愛情と健全育成への願いは、ことさら強いものがある。

学校教育においては、不易の「至誠の精神」を尊びつつ、地域に根ざし21世紀の新しい教育、とりわけ確かな学力と自ら課題を立て自ら解決できる資質や能力のある児童の育成を図るべく、新たな発想に立った教育活動が展開され、「新教育発信校」として全道的に期待されている。

浦河小学校の歴史

元年 オープン授業研修会(2学級公開、管内・保護者30名の参加者)
令和2年 北海道教育庁日高教育局ICT活用学び合いプロジェクト事業ICT活用中心校指定
全道PTA広報紙コンクール奨励賞受賞
令和3年 GIGAスクール構想において、全児童にiPadを貸与 授業のICT化が進む
令和4年 オープン授業研修会(2学級公開、管内・町内8名の参加)
全道PTA広報紙コンクール審査員特別賞受賞
令和5年 全道PTA広報紙コンクール奨励賞受賞
元年 全道PTA広報紙コンクール優秀賞受賞
3年 大規模改修工事開始(~5年まで)
5年 浦河町「幼児ことばの教室」併設
8年 全道PTA広報コンクール特選受賞 郵政省「私のアイディア貯金箱」コンクール学校賞受賞
9年 開校120周年記念式典挙行
11年 ふれあい乗馬体験開始 英国フォレストヒース市ニューマーケット・スカルトパック・ミドルスクール交流開始
12年 「浦小の森」造成開始 小学校英会話活動促進モデル事業指定校 実践自主公開研究会開催
13年 管内国際理解教育研究大会開催 全道PTA広報紙コンクール審査員特別賞受賞
14年 文部科学省「学力向上フロンティア事業」指定校(3ヵ年) 北海道教育実践論文掲載 日高管内教育実践表彰受賞
15年 「9.26十勝沖地震」管理棟傾斜 教育実践発表会開催(全学級公開、管内外330名の参加者) 北海道教育実践表彰受賞
16年 教育実践発表会開催(全学級公開、管内外205名の参加者) 新管理棟完成式
17年 教育実践発表会開催(6学級公開、管内外105名の参加者) 全道PTA広報紙コンクール審査員特別賞受賞
18年 オープン授業研修会(8学級公開、管内110名の参加者) 日高管内教育実践表彰受賞 全道PTA広報紙コンクール奨励賞受賞
19年 学校教育目標改定開校130周年記念各種行事オープン授業研修会(3日間日程 12公開、管内・保護者130名の参加者)
20年 全道PTA広報紙コンクール奨励賞受賞
21年 オープン授業研修発表会(5学級公開、管内78名の参加者) 全道PTA広報紙コンクール奨励賞受賞
22年 全国訪問おはなし隊来校
23年 オープン授業研修会(4学級公開、管内・保護者80名の参加者) 全道PTA広報紙コンクール奨励賞受賞
24年 道徳教育実践発表会(3学級公開、管内・保護者90名の参加者)
25年 オープン授業研修会(4学級公開、管内・保護者120名の参加者)
26年 子どもの心に響く道徳推進事業 植松 努氏 講演
27年 オープン授業研修会(4学級公開、管内・保護者85名の参加者) 子どもの心に響く道徳推進事業 曽田雄志 氏 講演 日高管内道徳教育研究大会
28年 北海道道徳教育研究大会日高・浦河大会(会場校) 子どもの心に響く道徳推進事業 坂東 元氏 講演
29年 子どもの心に響く道徳推進事業 大平 まゆみ氏 講演 オープン授業研修会(3学級公開、管内・保護者55名の参加者)
30年 開校140周年記念大運動会開催 全道PTA広報紙コンクール奨励賞受賞
3年 開校50周年記念式典挙行
8年 学校給食実施
9年 教育目標制定
10年 新校舎竣工、落成式(改築1期工事完成)
12年 新増築校舎へ移転(改築2期工事完成)
13年 開校60周年記念式典挙行
15年 校歌制定(作詞/加勢蔵太郎 作曲/千葉日出城)
23年 開校70周年記念式典挙行
33年 開校80周年記念式典挙行
41年 北海道学校体育研究大会開催
46年 開校90周年記念式典挙行 新校舎落成(現校舎)
49年 全国学研教育賞受賞
50年 学校保健優良校全道表彰受賞 全日本健康優良校全国表彰受賞
51年 学校保健優良校全道表彰受賞 全日本保健優良校2年連続全国表彰受賞
52年 開校100周年記念式典挙行
56年 全国PTA連合協議会全国表彰受賞
57年 博報児童教育振興会全国表彰受賞 PTA文部大臣表彰受賞
61年 実践自主公開研究会開催
63年 ことばの教室開設
3年 大塚助吉氏より校旗寄贈
6年 開校40周年記念式典挙行
13年 第6回北海道小学校教育研究大会開催
10年 開拓使浦河分署付属官舎を払い下げ、校舎として設立認可
11年 公立浦河小学校の開業式を挙行
22年 浜町に移転(66坪)
33年 鱗別(現在地)校舎新築・落成式
34年 学校創立記念式典を挙行(11月15日を創立記念日と制定する)
41年 校訓「考えて行え」「整頓」「清潔」を制定
43年 校訓「至誠をもって事にあたる」を制定

校章

校章について

  • 鏡は真実の己を映すものであり、校訓「至誠」をかたどる。
  • 三角は、知・徳・体の調和を示す。
  • 朝日は、朝日子(日本の子)をあらわす。すなわち、「すぐれた知見」・「美しい心情」・「たくましい身体」を身につけるため、真心をもって励むことを象徴している。

校歌